2013年11月10日日曜日

Hiatus Kaiyoteとは何者か? オーストラリアからのネオ・ソウルの使者②

<第2回 ハイエイタス・カイヨーティの考えること>

 アメリカの雑誌、The Wall Street Journalのネット版にHiatus Kaiyoteのインタビューが掲載された。Jim Fusilliというライターの書いた記事である。バンド結成時のエピソードや、メンバーの音楽哲学の一端が分かる内容で、記事自体は短いものの、彼らを理解しようとするときに役立つものだ。以下、翻訳。



Hiatus Kaiyote's Musical Mosaic
http://online.wsj.com/news/articles/SB10001424127887324165204579031270867771770

 大量のプロモーションによってバンドの不出来さを覆い隠す時代に、オーストラリアはメルボルン出身のネオソウル・バンド、ハイエイタス・カイヨーティが称賛に値するものだとちゃんと分かるのは実に嬉しいことだ。
 彼らの音はしなやかで自信に満ち、ソウルやジャズ、フラメンコ、サンバ、西アフリカ音楽の豊かな土壌を感じさせる。ヴォーカルのナイ・パーム、ステージではナオミ・サールフィールドと名乗る彼女は、さまざまな特徴の混じりあった声を持っていて、エリカ・バドゥやネナ・チェリーほか、セクシーでメリスマティックな歌い方をするスティービー・ワンダーの系譜にある歌手のようにメロディをたわませて歌う。

 ハイエイタス・カイヨーティを結成するため、サールフィールド(ナイ・パーム)とベーシストのポール・ベンダーは、パーカッショニストのペリン・モスとキーボーディストのサイモン・マーヴィンを誘った。そして、四人の音は有機的に溶け合ったのだと、今月はじめに行われたセントラルパークのサマーステージで演奏する前に彼らは言った。「僕らはなにかが始まったことを理解したんだよ(ベーシストのベンダー)」

「決まったジャンルの音楽ではなかったわ」サールフィールドは言う。「異なるもの同士の影響があった
としても、それらが混ざり合って自分自身をつくる。集団的な視点がわたし達を定義するのよ。」

 オーストラリアのセッションミュージシャンであるマーヴィンは、ハイエイタス・カイヨーティのチャレンジのなかで
初期のリハーサルのやり方を見出した。そこでは譜面よりもむしろ感情がその方向性を決定するのだ。

 「僕は自分のアプローチの全てを変えざるを得なかった。」と彼は言う。「僕達は事前にやろうと考えたことをすることは決してなかったんだ。」

 彼らのデビューアルバム"Tawk Tomahawk"を録音する頃には、彼らはすでに自分達のグルーブを見つけ出していて、彼ら自身でアルバムをつくることを決めていたようだ。
 「僕たちは僕たちがほしい音を理解していたんだ」マーヴィンはそう話す。

 まるでバンドはリスナーを困惑させようとしているかのようだ。"The Wolrd It Softly Lulls"のリズムの交錯はサンバにルーツを感じさせる――サールフィールドがラップをはじめるまでは。"Mobius Streak"は、フライング・ロータスの実験的なエレクトロニカをフラメンコ・ミュージシャンが歌っているような曲である。一方、"Ocelot"は轟くシンコペーション・パーカッションが構築する曲だ。アルバムに収録されているいくつかのインストゥルメンタルのうち、
"Leap Flog"は、上質なエレクトリック・ジャズである。


 サマーステージで、ハイエイタス・カイヨーティは、ジャズとヒップホップをフィーチャーした歌手のホセ・ジェイムスと、影響力のある歌手でありギタリストのシュギー・オーティスの貴重な出演の際に、オープニングアクトを尖った岬の上で務めた。輝く陽光のもとで、バンドは、マイルス・デイヴィスの"In A Silent Way"のセッションのアウトテイクのようなサウンドで、ぬるぬるとした魚をつかむみたいなインストゥルメンタルの演奏を始めた。演奏は続き、モスはダウンビートと戯れることで、音に揺らぎを与えた。サールフィールドは、大きなギターをかき鳴らしつつ、無音をアクセントに使った。"Malika"のためにオペラ歌手のアシュレイ・グリーアが参加している。


 ライブの後、バンドはアメリカツアーを締めくくるためにブルックリン、アトランタ、ノースカロライナ州のローリーに向かった。彼らは2013年11月に三回目のアメリカを訪れることになっている。

 モザイク状に混ざり合った音楽性ゆえに、偏見のない現代の音楽ファンの範囲を超えたハイエイタス・カイヨーティの観客を絞ることは難しい。ベンダーは、それは良いことだという。「僕達は時代もインディーロックが好きな子どももプログレ好きの男もジャズオタクもメタリカのTシャツを着た野郎たちも皆が聴ける音楽なんだ。」
 サールフィールドの哲学はこうだ。"良い音楽なら、彼らはついて来る"「わたしたちの仕事は私たちの音楽が住むところを作ることよ。」

2013年8月30日金曜日

Hiatus Kaiyoteとは何者か? オーストラリアからのネオ・ソウルの使者①




 ハイエイタス・カイヨーティ。オーストラリアのネオソウル・バンド。と言ったところでほとんどの人が首をかしげるであろうが、1曲聴けばその音に全身が震える。ヴォーカルの女性の声はまるで巫女のようで、大地とつながる神秘さの背後にはシンセのエレクトロな響きも聴こえるけれども、それもすべて彼女のしもべだ。モダン・ジャズ的なシティ感もありながら、それでもまっさきに想像するのは地球のへそ・エアーズロック――オーストラリアにある巨大な。というには巨大すぎる赤い一枚岩――で、ゴスペルだったり民族音楽だったり人間という生き物の奥深くに入り込んでいくようなリズムに、ようやく求めていたバンドが現れたのだと息をのむ。風変わりなメイクやコシのある歌い方には、レディー・ガガやかつての椎名林檎を想像するひともいると思うが、彼女たちとはまったく別種のエモーショナルさ、裸の感情を持っている。それはやはりバンドの育ったオーストラリアという大陸の空気が影響しているのであろうか。
 この特集では、バンドの概略をはじめ彼らに影響を与えたアーティストまでを追い、いったい何がこの音楽を形成する種となったのかを見ていきたい。(中山裕子)

 

<第1回 Hiatus kaiyoteとは何者か?>
 最初は彼らのプロフィルだ。日本語で書かれた記事がごく僅かのため、彼ら自身のFacebookに載っている英文の説明文を意訳したのが以下である。


 ハイエイタス・カイヨーティは、ネオ・ソウルのバンドだ。オーストラリアのメルボルンを拠点として、ラテンやジャズ、オペラ、そして映画的な情景を思い起こさせるようなネオ・ソウル、ヒップホップ、エレクトロビーツをフォーピースで融合している。 
 バンドは2011年半ばに結成され、それ以来彼らは大きな称賛を受けてきた。ジャイルス・ピーターソン・ワールドワイド・アワードの年間最優秀ブレイクスルーアーティスト賞の獲得をはじめ、BBC Music6のジャイルス・ピーターソンの番組で「今週のアルバム」に選ばれたり、エリカ・バドゥや クエストラブ、シャフィーク・フセイン、ミゲル・アトウッド・パーカーソン、ジェイムス・ポイザー、フィロア・モンチ、ジーン・グレーのような有名人の支持を得たりしている。(中略) 
 バンドを率いているのは、謎のシンガーソングライター兼ボーカリスト兼ギタリストであるナイ・パームだ。彼女は入り組んだ構成の楽曲をつくり、神秘的で色彩的な豊かさ、現実と同時に目に見えない世界をも描き出して、彼女の23歳という年齢を超えた作曲とパフォーマンス能力を見せている。
 バンドのほかのメンバーは、メルボルンで最も素晴らしく、最も多才なミュージシャンとプロデューサーのうちの3人だ。キーボードのサイモン・マーヴィン、彼はジャズ、ソウル、ラテンのシーンで身を立てたプレイヤーで、シル・ジョンソンやブッカー・T・ジョーンズなどの世界的なアーティストのバック・バンドにいた。また、オーストラリアで最大のダブ・レゲエグループ、The Red Eyesでも演奏していた。彼は現在も、世界的に有名なソウルグループ、The Bamboosと共にプレイしている。ベースとラップトップ、ギターを担当するポール・ベンダーはマイアミ大学の高名なジャズ科の卒業生で、マイアミのインディーズや実験・即興音楽の情熱あふれるキーパーソンだった。ドラムのペラン・モスは、唐突さと滑らかさを兼ね備えたビートの原動力であり、実験的なMCやプロデューサー、パーカッショニスト、DJの経験を持つ。彼ら3人は、ヴォーカルのナイ・パームが想像もしなかった方法で、彼女の詞と曲を完璧に現実のものにしてみせた。
 2012年の4月にリリースされた『Tawk Tomahawk』は、ハイエイタス・カイヨーティのデビュー盤である。10曲入りのEPで、ほとんどはメルボルンのバンドの自宅で録音とミックスが行われた。複雑なアレンジのなかで細部への気配りやバンドの専門性の広さをみせている。最終的には、メンバー同士の共鳴を通じて、彼らはあらゆる意味で革新的で非凡でユニークなサウンドを創りあげた。(後略)(Hiatus Kaiyote - Facebookより引用)


 このようにプロフィルは彼らをほめちぎる言葉で埋め尽くされているが、YouTubeにあがったライブ映像を観てみるとなかには荒削りという印象を受けるものもある(もちろん録音状態が良くないことも多分に影響しているが)。それでもなお精神を揺らす楽曲の構造やエモーショナルなナイ・パームの声。そんなメロディアスさにそぐわない、高揚しきった観客を映像のなかで認めるにつけハイエイタス・カイヨーティが強力な・麻薬的な効能を持つバンドであることが充分に理解できる。



<ナイ・パーム。彼女の世界>

 バンドの中心にいるナイ・パーム。彼女の書く詩が想像させるのは、宮澤賢治のような繊細で広大なこころのなかの世界だ。その詩をひとつ翻訳してみよう。

"The World It Softly Lulls"

Rarity glistened sharp,
the memory of silver tooth bark,
bathed LED light history
fractured into pieces.
And outside
storm forks a snake tongue
curls through my finger tips warm
A rough streak ribbons around my skull.
The world it softly lulls.
The world it softly lulls.
The world it softly lulls.
The world it softly lulls.

するどく煌めく奇貨、
銀歯に宿った記憶が怒鳴り
LEDライトの歴史に光を浴びせ、
ばらばらに砕けていった。
その外では嵐が、私の指先をあたたかく絡めとった蛇の舌を突き刺している。
乱暴な稲妻は、わたしの骸骨の周りでリボンとなってちょうちょ結びを作る。
世界がやさしくあやしてくれる。
世界がやさしくあやしてくれる。
世界がやさしくあやしてくれる。
世界がやさしくあやしてくれる。

 わたしは英語が自由ではないので彼女のつむぐ言葉よりもそのエモーショナルな歌い方についつい耳を傾けがちだったが、こうして文字に起こしてみると、彼女の詩がハイエイタス・カイヨーティの魅力のひとつであることがよく分かる。韻を踏むよりも、同じイメージを持つ語句、"The World It Softly Lulls"でいえば「光」、を全体に散りばめて、非現実的な・しかし鮮明で美しいヴィデオを頭のなかに流す。まるで俳句や短歌だ。


 こんな詩を書く彼女はいったい何を考えて音楽をやっているのだろうか。次回以降は彼女らのインタビューを日本語に起こしていく。
(次回更新予定 2013年9月6日金曜日)

2013年5月6日月曜日

THE GOLDEN WET FINGERS - 『KILL AFTER KISS』<三人の笑い声が聞こえる>

-- OUTLINE
 映画『赤い季節』のために結成されたバンド、THE GOLDEN WET FINGERS。
 チバユウスケ、中村達也、イマイアキノブの三人は、いかにもイロモノ――黒く塗りつぶされたまなじり・刺青を隠す気の無いつなぎ・たっぷりとしたマーブルの毛皮――といった格好で、アー写の向こう側からこちらを見据えていた。

 真っ黒で不敵な6つの瞳から繰り出されるのは、いったいどんな音なんだろう。

 ブランキー、ミッシェル、ロッソ、ミッドナイト・バンクローバーズ、ロザリオス、バースデイ。という、彼らがやってきたバンドの音を片っ端から想像しながら、誰もが期待をし、不安をもってライブを待っていた。でも、始まればすぐに気付くのだった。チバの答えはいつも同じ――「ハートが踊ればそれが全てさ 他に何があるってんだ?この世界に」熱気で音のこもったギター、ジャリつくマラカス、心臓を殴るドラム、そしてあの格好からは想像もできない陽気さと適当さ、ちょっとの風刺、たくさんのアフォリズム、すべてのカッコよさ。がそこにあった。

赤い季節トークショー&ライブ.THE GOLDEN WET FINGERS@大阪梅田クアトロのレビューはこちら


-- SUMMARY
 いつもの素晴らしいバラードは1曲もはさまれない。バランスが存在しない。何もかもが同じハイ・テンションだ。
 露骨なまでにライブハウスそのもの。といった加減にレコーディングされているローファイな音は、生まれてこのかた手加減なんてしたことないだろう中村のドラムと、ネジのすっ飛んだイマイのギターを溶かして気持ちよく走る。それに乗っかるチバの声はさらに気持ちよく、淫靡に咆える低音が興奮しすぎて高音にひっくり返ったときですら、映画よりも映画らしいGWFのやりたい放題の世界観を描いてしまう。
 それだけが延々と続く、すべて同じに聴こえなくもない狂暴な曲群。それでもまったく退屈しないのは、3人のハッピーさが、演奏の強度と中毒性を生み出しているから。名盤。


-- REVIEW
 ほぼすべての楽曲が、どこか遠いところにある乾いた海岸を、真っ赤な四輪でぶっ飛ばしているような情景を描くのだが、ひとつだけ違う景色の曲がある。

 [Civilators]――チバには珍しく、映像を惹起させる言葉がいっさい使われず、まるで一人芝居の台本のように書かれたこの曲の歌詞は、現実にいる特定の女性へのメッセージにも思えるし(だとしたらとても面白く、でなくとも素晴らしい歌詞。真相は後世の歴史家に託すしかない。)、「俺はもっと自由だからさ」という台詞には、なんだか実感がこもりすぎている。
 今ここではないどこか。誰かに似ているが誰でもない誰か。それらへの、映画みたいにロマンチックな気持ち。
 そんなことばかり歌っていたチバが(もちろんこのアルバムのほとんどもそのスタイルを踏襲している)突如この曲にだけ生活感をにじませたのは何故なのだろう。そして、その殺伐さにも関わらず、どうしてこれほど余裕で笑っていられるのだろう。



 内省的で抽象的な気分から、開放的で具体的な気持ちへ。当人もわけのわかっていない何かへの苛立ちから、世界とつながっているメッセージへ。『I'M JUST A DOG』以降、チバの世界の夜明けは加速するばかりだ。

 GWFに限って言えば、久しぶりのイマイアキノブとの制作だったことも関係しているだろう。シングルを出す必要がない、好きなものを好きなだけ作っていい特別なバンドだったというのもあるだろう。中村達也の本能的な生き方に感化されたのかもしれない。不惑を超えて、肩の力が抜けたのもあるだろうか。理由は何であれ、とにかく彼の夜明けの根底にあるのは「楽しい」という単純な気持ちなのだ、と僕は思う。



 そんな精神的なヘルシーさが、思わず彼に生活の一部を歌わせてしまった。とするならば、やっぱりこのアルバムはコントロールされていないやりたい放題だ。アベやフジイという司祭不在のなか、ガレージロックそのものの力を思うまま燃焼させて、ただただトランスを繰り返す気持ちよさを、悔しいぐらいたっぷりと詰めこんでいる。
 年をとっても、いや年をとったからこそ、笑いながら飛び込んでゆける。軽い電流の走る幸福感。チバのさらなる前進とも言える作品だ。
 


* * *

2013年3月28日木曜日

2013-14 Fall Winter コレクション.まとめ

3月3回目

2013-14 Fall Winter コレクション.BGMまとめ(随時更新)




Moschino/モスキーノ
〈ショーのすべてを英国に捧ぐ〉


BGM
①Oasis - Wonderwall
②The Verve - Bitter Sweet Symphony
③Blur - Girls and Boys
④バグパイプによるスコットランド民謡


 

Prada/プラダ
〈可憐なホラーショー〉


BGM
①不明
②Visage - Fade To Grey
③Gabriel Yared - Des Orages Pour La Nuit
④Blaine L. Reininger - El Mensajero Divino
②Visage - Fade To Grey
⑤Yazoo - winter kills(Electronic Periodic's Sub/Piano Mix)
⑥Visage - Whispers


***



Alexander MaQueen/アレキサンダー・マックイーン
〈母の胎内の神秘性〉


レタポルテ=既製服のショーであることを忘れてしまうような緻密で贅沢な手仕事と、城の奥深くで秘匿されて育った皇女のような雰囲気は、周りの世界とまったく隔絶し、ただただ美しい完璧な5分間を創り出しました。発表されたすべてにため息をついて見とれてしまう。しかし、その至福のときはあっという間に終わりを迎えてしまいます。

30‐40着程度を見せるのが平均的であるパリコレクションにおいて、今回アレキサンダー・マックイーンのショーがたった10着と、非常にコンパクトであったのはなぜか。アメリカ版ヴォーグに理由が興味深い考察と共に載っていたので見てみましょう。

(前略)マックイーンはデザイナーのサラ・バートンが妊娠しているため、豪華絢爛なショーを避け、10着だけの短いショーをおこなうことを選択した。セリーヌのデザイナー、フィービー・フィロも、昨年、バートンとまったく同じ理由でフルのショーを取りやめている。このように、二人の女性が自分の意志で物事を決定したという事実は、彼女達がどんなに重要であるか、素晴らしいか、巨大な権限を持っているかを示している。それぞれのブランドでバートンとフィロが非常に重要である理由は、彼女達が休みを取ることを選べたことからもわかるだろう。マックイーンとセリーヌが巨大なグローバル企業で居続けるためには、結局のところ、世界の情勢に敏感で創造的なタイプ、具体的に言えば、特に女性が、機械の心臓部としてその存在を必要とされているということだ。(後略・以上筆者による意訳)

 ちなみに、日本版ヴォーグのレポートでは、バートンの産休のことについては触れているものの、それ以上のことは書いてありません。やはり、フェミニズム発祥/発症の地アメリカだからこそ、このような些細な出来事からも男女平等の匂いを嗅ぎ取るのでしょうか。


 ショーの内容に戻りましょう。今回は、16世紀の英国"処女王"エリザベス1世と、1900年代初頭に一世を風靡したロシアのバレエ団"バレエ・リュス"がモチーフとなっているようです。
 エリザベス1世は、覚えている方も多いと思いますが、その美しい襞付き襟〈ラフ〉と赤毛のかつらが印象深い肖像で世界史のテキストに載っているイギリスの女王です。彼女は、結婚することなくその生涯を終えたために――たくさんの映画や演劇となっていまでも語り継がれるほど――神秘性と同時にアンビバレンスさを感じさせる魅力的な人物でした。サラ・バートンは、この女王が身につけていた細かな刺繍のドレスと大きなラフに着想を得て、遠目には細かな水玉模様かと思うほど精緻な真珠の刺繍をすべてのデザインにほどこしています。
 真珠はドレスだけでなく、足やデコルテといった部分、さらには伸びたラフが格子状に覆う頭部までを飾っています。そして、漆黒を下地としたミニマルなドレスを経て、後半登場する、純白を羽毛で覆ったドレスの豪奢さは、まさにバレエ・リュスに始まって脈々と現代まで受け継がれるチュチュの女王版。といったおもむきで、この『白鳥の湖』はさぞかし飛ぶのが大変だろう、自分の宝石の重みで…いや女王は自分で飛ぶ必要など無いのだ、だって女王なのだから。とその運命の儚さと共に圧倒的な存在感を放ってやみません。


 BGMは詳細不明ですが、鉦の音に深い四つ打ちが重なってテクノ的でありつつエキゾチック。という、まるで宗教音楽を聴いているような気分になります。ショー全体の荘厳な雰囲気や、会場であるパリ・オペラコミック劇場の美しいバロック様式の内装を考えれば、もうこれしかないという自然な選択だったのでしょうが、このBGMを含め、すべての要素がすばらしい調和をみせ、これから出産というイニシエーションにむかうサラ・バートンの胎内の息吹、霊妙さをわれわれ観客に伝えています。(柿中 薫)

(参考)
日本版ヴォーグのレポート By Jessica Bumpus
http://www.vogue.co.jp/collection/brand/Alexander-McQueen/13aw-rtw/report
アメリカ版ヴォーグのレポート By Mark Holgate
http://www.vogue.com/fashion-week/fall-2013-rtw/alexander-mcqueen/review/


2013年3月19日火曜日

ART-SCHOOL - 『The Alchemist』<34歳は、夢を旅した少年のままに>

2011年のメンバー脱退を受け、2012年の活動からドラムに藤田勇、ベースに中尾憲太郎をサポートメンバーとして配し、アルバム『BABY ACID BABY』の制作と全国ツアーを行った「新生アートスクール」は、今回エンジニアに益子<ROVO>樹を起用して(このエンジニアの変更→音の変化の話はRO69の小野島大さんのディスクレビューに詳しくかつ面白いです。)、完全限定生産である5000枚のミニアルバムを制作しました。なぜ限定なのか?しかも5000枚なのか?という疑問については「マーケティング戦略上、5000枚がもっともコスパがよかったから(よく語意を理解しないまま書いています)」「ミニアルバムって何枚ぐらい売れるのか読めなかったから(マジでこれだったら最高にクールだぜキーオンミュージック)」等、アートスクール側というより音楽会社側の意向っぽい、まあインタビューを読んでも公式サイトを見ても理由は書いていないし、別にどうでもいいことなのですが(笑)、ただ限定生産という以上「いずれ手に入らなくなるのだ」ということをはじめに記しておきます。



イントロのリズム隊の力強く確かなうねり、アウトロに向かって響くサックスの冷たい金属音。1曲目の[Helpless]はそれらの音に乗せてジャケットどおり白黒の情景をひりつくギターに叫ばせる。「Helplessさ Hell Placeさ」と救いのなさを呟く歌詞は、2曲目の[フローズンガール]、3曲目の[The Night is Young]のような誰でも口ずさめる美しいメロディの上でもはっきりと囁かれ痛みを増すようだ。「本当に死にたいと 感じない様に」。
それでも満ち溢れる光のような音像は、BPM上最高潮に達する[Dead 1970]のメタリックさの背後にすら存在して、やがて終わりに向けてその冷たい澄んだ輝きは増していく。

 

 「この作品は『BABY ACID BABY』との2枚組みの一枚で、発売の遅れたDISC2である。」と言っても違和感はないでしょう。リズム隊の雄雄しい低音を踏みしめながら冷たさと重たい密度を感じさせたDISC1『BABY ACID BABY』、その雄雄しい低音はそのままに、輝くようなギターの音の粒と木下理樹の呟きがキラキラと零れ落ちていくようなDISC2『The Alchemist』。DISC1とDISC2をゆるやかに分けるその光の有無は、前述のようにエンジニアの変更があったこと、そして木下理樹のもつ「誰でも口ずさめる美しいメロディ」を生み出す力が今作で解放されたことが要因といえます。

 ともすれば陳腐な明るさや踊れないバラードへと傾いてしまうその「きらきらしさ」。しかし、アートスクールのそれは、絶対的な力――絶望と虚しさだけを誠実に・朴訥に・純粋に歌う木下理樹の詞の力――によって、シューゲイザー・ロックとしての堅牢な形を崩しません。絶望するわれわれを決して忘れず詞を書き続ける木下は、神の怒りをかって石を運び続けるシーシュポスなのか? それともひとりだけ戦争が終わったことを知らない兵隊なのか? あるいは自分で生み出した使命をもって走り続けるメロスなのか? いずれにせよ、このアルバムにはリズム隊の生み出す重厚な音への安心感以上に、憂鬱であることを絶対に否定しない木下の優しさへの安心感があります。

 アルバム最後の曲[Heart Beat]、泣いているときの鼓動のようなビート、それに乗るかすれた木下の声を聴いていると、やがて自分が本当に泣いていることに気付きます。3月11日以降、持たなければならなくなった希望を引き剥がして「Crush & Burn」と叫ぶ声にひたすら愛を感じながら。(中山裕子)


2013年3月13日発売 1,800円
1. Helpless
2. フローズンガール
3. The Night is Young
4. Dead 1970
5. 光の無い部屋
6. Heart Beat

2013年3月7日木曜日

MANNISH BOYS.Ma!Ma!Ma!MANNISH BOYS!!!.レビュー

3月1回目

MANNISH BOYS - 『Ma!Ma!Ma! MANNISH BOYS!!!』<20年後、ベトナムの子どもが聴いたら。>


日開催が発表されたチバユウスケ×中村達也主催のライブイベント・WEEKEND LOVERS'13、チバはThe Birthday、中村は斉藤<やさしくなりたい>和義と2012年に結成したMANNISH BOYSで全国行脚するとの報を受けて、一回聴いただけでそのままになっていたMANNISH BOYSの音源をあわてて引っ張り出してみました。

 そう、これ一回しか聴いていないのです。




音楽が一番幸福だった時代を彷彿とさせる素晴らしいギターリフにのせて、「マ・マ・マ・マニッシュボーイズ!」と中村・斉藤両氏がアルバム名をコールするインストから始まるこのアルバムは、ゲストミュージシャンをいれず(1曲だけSOIL & “PIMP” SESSIONSの秋田ゴールドマンがダブルベースで参加)、斉藤がシンセを弾いたりベースを弾いたり、中村ががっつりコーラスをしたり、二人の台詞の掛け合わせがあったりと二人それぞれの本業では見られない仕掛けが全体に散りばめられている。4曲目[DIRTY BUNNY]でのピコピコ感や7曲目[Oh! Army]のカズー、そして11曲目[ないない!]では斉藤がドラム、中村がギターを弾いてしまう。という暴れっぷりを聴かせながらも、[LINKEYLINE][カーニヴァル]をはじめとして全体では一貫してギターとドラムをがっつりと魅せる一本筋のばしりと通った気持ちのいい一枚。




 やっぱりうまいなあ二人とも。と嘆息すらしてしまう気持ちのいいギターとドラムは、それだけで100回はリピートできるほどなのですが、それを1回聴けばいいや。という気にさせてくれたのは、その「歌詞の強さ」でした

 「原発反対」「腐った政治家」――「MANNISH BOYS(マセたガキ)」というユニット名とは裏腹に、強く真剣なメッセージ。あまりにはっきりと聴こえるものだから、それはどうしても排他的に――たとえば原発推進派の子どもが聴くことを許さないように――リスナーの間に境界線を引いてしまいます。
 もちろん[あいされたいやつらのひとりごと~青春名古屋篇]みたいに、茶目っ気たっぷりの歌詞もありますが(でもこれだってよく考えればかなり排他的ですなあ。)、ハブ ア ジラフ、ジャケットのキリンのように「笑っちゃうよ、まったく」ぐらいの寛容さがもっと全編にわたっていれば、100回。といわず何千回でも聴いただろうと思います。


 だからきっとMANNISH BOYSは、20年後のベトナムの都市の中学生が聴いて夢中になるでしょう。なぜなら彼らには「原発反対」や「腐った政治家」という"日本語の"メッセージは届かず、ただただひたすら素晴らしい二人のリズムとメロディが聴こえるだけだから。(中山裕子)


BGM
①Art Tatum - Moon Song
②Art Tatum & Ben Webster - Where Or When

2013年1月16日水曜日

skillkills.BLACK MUTANT.レビュー

skillkills - 『BLACK MUTANT』〈2012年、最後の魔術〉


際のところ、これはヒップホップなのかどうかも分からない。われわれがヒップホップと聴いて想像する音楽――エミネムからケツメイシ、降神まで大きな振れ幅を持っているであろうそれ――とは絶妙にズレた奇妙な味のするこの作品は、一度口にしてしまったが最後、もうその味を忘れさせない。


 ドラム・ベース・ギター・シンセというバンド編成での演奏がもたらす生々しさと、リリックの抽象性――今らしいカタカナ語、ネットスラング、固有名詞が生贄として大量にぶちこまれ、高速で唱えられ、それぞれの辞書的な意味が崩壊することで生まれるコラージュ――が、ヒップホップ・ミュージックのなかで異質である。というのはもちろん、この奇妙さは「闇」を想起させる魔力を持っている。いつの時代にも必ず存在し、もうひとつの歴史を築いてきた、震災以降この国の音楽からは徐々に蒸発している、魔力。それは、広大な都市の中で清められつつある暗がりをわれわれの脳裏に与えながら、ただただ身体を踊らせて止まない。



 アルバムは、この生々しさと抽象性という魔力を武装した一本の呪文として構成されている。作品全体を貫く低音の力強さ、ドラムの弘中聡氏によれば(信じがたいことに)すべて4拍子であるという不思議なリズムはうねりながら中毒性を生みつつ(この黒い中毒性は、偶然にもほぼ同時期にリリースされたOMSBの『Mr."All Bad" Jordan』からもはっきりと感じ取れる。もちろん、OMSBはバキバキのトラック・具体的なメッセージ性を持つヒップホップの申し子。である点でリアルでのskillkillsとの接点はないと思われるが、このような偶然は必ず意味を持っている。たとえば、マイルス・デイヴィスとマリリン・モンローは同い年で、マイケル・ジャクソンとマドンナも同い年である。というように。)、途中、三味線のサンプリングやシンセが繰り返すインド的なフレーズなどといった異教のトランスが練りこまれることで、魔力は混沌という力を得、身体はその踊る速度を上げざるを得ない。


 そう、結局のところこれはヒップホップという形をとった魔術なのだ。揃いのパーカーを着、フードを被り、まるで秘密結社のような彼らの奇妙さは、いやもはや奇形とすらいえるその素晴らしさは、2012年最後の魔術としてスーフィズムがごとくわれわれの眼を回し、2013年も混沌となろうことを予感させる。








skillkills - 『BLACK MUTANT』
2012.12.26発売
レーベル→BLACK SMOKER RECORDS